1.近交係数の上昇で見えなかった遺伝病が見えてきた
2.劣性遺伝子として遺伝病が隠れている
3.ホルスタインの主な遺伝病と遺伝性奇形 (一覧表)
4.日本の登録規定における不良形質はどうなっているか?
5.交配相談への利用
日本のホルスタイン集団における近交係数は1990年代初めから2000年代中頃にわたり、急速に上昇しました。最近になって近交係数の上昇速度は鈍化したものの、2011年生まれの雌牛で平均5.5%、近交係数ゼロの雌牛は集団の中でほとんど見られなくなりました。優秀な種雄牛は特定の家系に偏る傾向があります。優秀な種雄牛はより多く供用されるので、特定の家系から作出された種雄牛の娘牛ばかりが増えてきました。そして、このような家系の類似した種雄牛が何世代にもわたり繰り返し供用された結果、共通祖先が何重にも増えていき、近交係数が上昇してきました(図1)。このように、乳牛の改良と近交係数の上昇には密接な関係があるのです。育種価の高い個体が特定の家系や系統に偏るという問題は血縁情報を重視したアニマルモデル法(AM)の欠点でした。言い換えれば、AMによって推定された育種価では特定の家系以外から優秀な種雄牛を見つけづらかったのです。最近話題にのぼるゲノム評価法はDNAの塩基配列から個体自身の遺伝情報を重視して育種価を推定するので、今まで見落としていた家系からも優秀な種雄牛を見つけ出すことができるかもしれません。それにより、近交係数の上昇を抑制する効果が期待されます。
近交係数の上昇は劣性遺伝子の発現頻度を上昇させ、さらには今まで存在さえも知られていなかった新しい劣性遺伝子を発見する機会も増えています。今回は、近交係数の上昇と劣性遺伝子が表現型として発現するメカニズムを明らかにし、さらに遺伝病または遺伝性奇形を発現する劣性遺伝子の登録上の取扱いや交配相談システムによる遺伝病の情報活用について解説します。
近交係数は、例えば親子交配や兄弟姉妹・いとこ交配のような血縁が非常に近い雌雄間の交配(近親交配)だけでなく、一見、遠い血縁関係にみえる雌雄間の交配でも両親の血縁中に共通祖先が増えていけば、気づかない内に近交係数が上昇することもあります(図1)。ホルスタインにおける近交係数の上昇は多くが後者の理由によるものです。ヒトや家畜のように有性生殖する生物(雌雄が存在する生物)の多くは、両親から一本ずつ同じ染色体(相同染色体)を受け継ぐので、相同染色体上の同じ位置の遺伝子(相同遺伝子)も受け継ぎます。ある個体の持つ1対の相同遺伝子が共通祖先のものと同じ遺伝子である場合、近交係数はこの遺伝子が両親から伝達され、ホモ化する確率と定義されます。
近交係数の上昇は共通祖先の劣性遺伝子のホモ化を促進します。ここで、両親から同一の遺伝子をもらった場合のみ表現型が現れるのを劣性遺伝子、どちらか片親からその遺伝子をもらっただけで表現型が発現する遺伝子を優性遺伝子と呼びます。例えば、ホルスタインの黒色毛遺伝子をA(優性遺伝子)、赤色毛遺伝子をa(劣性遺伝子)の記号で表記します(図2)。aはAに対して劣性なのでレッド&ホワイトの表現型を発現する個体は1対の相同遺伝子がaa(ホモ化)の場合のみです。レッド&ホワイトは両親がaaの場合のみ100%の確率で発現しますが、図2の例-2の交配では25%の確率で発現します。一方、Aはaに対して優性なので、ブラック&ホワイトの表現型はホモとヘテロ(AAとAa)の二種類の組み合わせで発現します。
劣性遺伝子は一般に生存に無関係なものがほとんどですが、中には生存の適応性が高いもの、反対に生存に不利な表現型をもたらすものもあります。優性遺伝子は、生存に対して不利に作用する遺伝子であっても、高い頻度で表現型を発現します。しかし、このような遺伝子を受け継いだ個体は適応性が低いので(繁殖性が不利になる)、優性遺伝子は自然選択により集団からほとんど取り除かれてしまいます。一方、劣性遺伝子は表現型として発現せずにヘテロの状態(Aa)で保因されるので、自然選択によって集団から簡単に取り除かれません。そのため、生存に対して不利に働く劣性遺伝子は集団内に保因され、次の世代へ伝達されていきます。
適応性に不利に働く劣性遺伝子は繁殖性も低いはずなので、ホモ化するたびに子孫を残さず淘汰され、ヘテロ個体も集団全体から見れば少ないのが普通です。そのため、適応性に不利に働く劣性遺伝子を両親とも偶然に持つ確率は通常、非常に少ないと考えられます。普通は一方の親からこのような劣性遺伝子を受け継いでも、もう一方の親から優性遺伝子を受け継ぐ可能性が高いので、子牛が適応性に不利な表現型を発現する機会は少なくなります。しかし、近交係数の上昇は共通祖先から受け継いだ同じ劣性遺伝子を両親が持つ確率が高くなるので、その劣性遺伝子が子牛に伝達されてホモ化し、発現する可能性も高くなります。これが、近交係数の上昇によって遺伝病や遺伝性奇形が増えるメカニズムです。近交係数は遺伝改良を続ける限り上昇します。近交係数の急激な上昇はこれら劣性遺伝子のホモ化を促進させ、繁殖能力の著しい低下によって集団を維持不能にする危険性があるかもしれません。それ故、近交係数はなるべくゆっくりと上昇させることで、適応性に不利に働く悪性の劣性遺伝子を徐々に集団から排除する工夫が必要であると考えられます。
致死遺伝子とは、この遺伝子を持つ個体を死亡させる遺伝子のことであり、上述した適応性に不利に働く遺伝子の中でもっとも致命的な作用をする遺伝子です。致死遺伝子を持っている個体は生きていけないので、致死遺伝子は子孫に遺伝するはずがないように思われます。しかし、致死性を持つ遺伝子が劣性遺伝子と仮定した場合は別です。劣性遺伝子はヘテロ化した保因牛(Aa)となり、自然選択により集団内から排除されずに残ることが可能です。前述したように近交係数が上昇すると、共通祖先が持っていた致死性の劣性遺伝子が両親に伝達され、ホモ化(aa)する確率が高くなります。
致死遺伝子が発現するタイミングには様々なものがあります。例えば、配偶子(精子や卵子)で発現するもの、早期胚死滅で流産するもの、胎児期に発現して死産するもの、正常に誕生するが繁殖期の前に発現するもの、さらに繁殖期の後に発現するものがあります。なお、致死とは死産に限る用語とし、生後まもなく死亡する場合は半致死という用語で使い分けすることもあります。さらに、致死遺伝子は、発現の強さにも違いがあり、ホモ化によって必ず死亡するものから、生存の適応性が低下する程度で発現するものなど様々です。
表1には米国ホルスタイン-フリージアン協会(USホルスタイン)が遺伝子検査の結果に応じて血統登録証明書等に記載している遺伝病とそのコード、さらに世界ホルスタイン-フリージアン連盟(WHFF)が国際調整を行っている遺伝病コードを示しました。USホルスタインでは排除すべき遺伝病または遺伝性奇形の遺伝子として11種類が調査対象になっています。その中で、遺伝子型検査が行われている形質は牛白血球粘着性欠如症(BLAD)、牛短脊椎症(ブラキスパイナ)、牛複合脊椎形成不全症(CVM)、ウリジン酸合成酵素欠損症(DUMPS)および単蹄(癒合趾症)の5種類です。ブラキスパイナ、CVMおよびDUMPSの遺伝子は致死性が高く、BLADは、肺炎などの理由により、遅くても生後数ヶ月以内には死亡すると言われています。単蹄の遺伝子がホモ化すると、蹄が分岐しない状態で生まれてきます。単蹄は生存に支障がありませんが、排除すべき遺伝性奇形として遺伝子型検査の対象となっています。一方、ここでは紹介しませんでしたが、ホルスタインには無角の遺伝子が存在します。この遺伝子は、むしろ飼養管理上望ましい奇形なので、積極的に増殖しているところもあるようです。なお、最近ではⅪ因子の遺伝子型検査も可能になったようですが、遺伝病コードは公表されていないので、よくわかりません。
ホルスタインは精液や受精卵を通じて世界中に優秀な遺伝子が流通している品種です。WHFFではホルスタインの遺伝子産業が国際的に発展する中で、各国の登録協会の情報を円滑に交換するための国際調整を積極的に行っています。WHFFの劣性遺伝子を調査する委員会では、新しく発見された遺伝病または遺伝的奇形を認定する手続き、さらに血統登録簿に記載する劣性遺伝子のコードなど様々な遺伝子に関係する国際調整のガイドラインを策定しています。WHFFが勧告している遺伝病および遺伝的奇形に関係するコードは、USホルスタインが遺伝子型検査の対象としている5形質の他に、Ⅺ因子とシトルリン血症の2形質が加わり、現在のところ7種類が国際調整の対象となっています。Ⅺ因子は血液凝固因子が遺伝的に欠損している病気であり、ホルスタインの場合、様々な臓器で出血が見られる他、性周期の長期化および受胎率の低下など繁殖性の低下が報告されています。シトルリン血症は、アンモニアから尿素に分解されるときの中間生成物質(シトルリン)を分解する酵素が遺伝的に欠損している病気です。シトルリン血症の遺伝子がホモ化した個体は、出生後まもなく死亡すると言われています。
名称 | 遺伝子 | 米国ホル協 | 国際標準の表記 | |||
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日本名 | 英語名 | 保因 | 非保因 | 保因 | 非保因 | |
ブルドック(軟骨発育不全) | Bulldog(Achondroplasia) | 劣性 | BD | - | ||
牛白血球粘着性欠如症(BLAD) | Bovine Leukocyte Adhesion Deficiency | 劣性 | BL | TL | BLC | BLF |
牛短脊椎症(ブラキスパイナ) | Brachyspina | 劣性 | BY | TY | BYC | BYF |
牛複合脊椎形成不全症(CVM) | Complex Vertebral Malformation | 劣性 | CV | TV | CVC | CVM |
矮小 | Dwarfism | 劣性 | DF | - | ||
ウリジン酸合成酵素欠損症 (DUMPS) |
Deficiency of Uridine 5'-Monophosphate Synthetase | 劣性 | DP | TD | DPC | DPF |
先天性無毛 | Hairless(Congential Hypotrichosis) | 劣性 | HL | - | ||
上皮不全 | Imperfect Skin(Imperfect epitheliogenesis) | 劣性 | IS | - | ||
単蹄(癒合趾症) | Mule-Foot(Monodactylism,syndactyly) | 劣性 | MF | TM | MFC | MFF |
長期在胎 | Prolonged Gestinetion(Pregnancy) | 劣性 | PG | - | ||
ピンク歯 (先天性ポルフィリン症 ・ 光線過敏症) |
Pink Tooth(Porphyria) | 劣性 | PT | - | ||
XI因子(血液凝固因子欠乏症) | Factor XI(Blood Clotting Disorder) | 劣性 | XIC | XIF | ||
シトルリン血症 | Citrullinuriia | 劣性 | CNC | CNF | ||
国際標準:DNA検査によって遺伝子の保因の有無を示すものであり、世界ホルスタイン連盟が勧告した国際標準の表記法 |
日本ホルスタイン登録協会では、登録規程第4条第4項第3号にもとづき、改良上排除すべき著しく生理機能を損ずる遺伝的不良形質のあるものを登録しないと定めています。これらの遺伝的不良形質は具体的に「遺伝的不良形質調査要項」の中で列記していますが(表2)、血統登録牛から生産された子牛が当該の不良形質を発現した場合は、すみやかに日本ホルスタイン登録協会に報告し、当該子牛は血統登録できないことを規定しています。ただし、乳用牛として機能する長期在胎、無尾および乳頭異常については、例外として血統登録を可能にしています。この要項の不良形質にはBLAD、DUMPSおよびCVMのような致死性の不良形質が含まれていますが、外見だけでは遺伝病を特定できない場合があります。そのため、遺伝子レベルでの遺伝病の検査が必要になるわけですが、それについては「遺伝子型調査に関する取扱要項」によって定められています。
雌牛は登録上、遺伝的不良形質について遺伝子型検査の義務がありません。しかし、雄牛の血統登録に際しては国の「乳用牛遺伝性疾患専門委員会」で定められた遺伝性疾患の中で遺伝子型検査が可能なものに限り検査を受けなければならないことを登録取扱手続きの中で規定しています。具体的にはBLADとCVMの遺伝子型検査が可能であり、検査結果は血統登録簿に記載され保存されます。ただし、遺伝子型検査において、これら不良形質の遺伝子が保因されていることが判明しても、保因牛の登録は雌雄ともに可能です。登録できないのは不良形質を発現した当該子牛だけです。尤も、BLADとCVMを発現したホモ個体は遅くても子牛の段階で死亡するので、登録規程を持ち出さずとも血統登録はできません。さらに、日本の後代検定事業ではBLADとCVMを保因しているヤングブルは候補種雄牛にエントリーしないよう申し合わせているので、種雄牛サイドが原因で遺伝病が発現しないような工夫が取られています。輸入精液はBLADまたはCVMの保因している種雄牛のものであっても輸入される可能性があるので注意が必要です。なお、遺伝子型検査の委託先である社団法人家畜改良事業団遺伝検査部では上述した遺伝病の他にブラキスパイナと単蹄の遺伝子型検査ができるようになるので、平成24年度中にはこれらの検査結果を血統登録簿に記載するために準備が進められています。
交配相談システムでは供用種雄牛と雌牛の組み合わせごとにBLADとCVMの劣性遺伝子がホモ化し、遺伝病(子牛死亡)が発現する確率を示しています(図4)。例えば、図2の例-2におけるヘテロ個体が両親の場合(Aa×Aa)、通常のメンデルの法則ではAA、Aaおよびaaの遺伝子型個体が1対2対1(25%:50%:25%)の分離比になるはずです。しかし、aが遺伝病を発現する劣性遺伝子では、ホモ化(aa)した時に子牛が死亡し、子孫を残さずに集団から取り除かれるため、通常の分離比とは異なります。図2の例-2にしたがうならば、aaの遺伝子型個体は死亡するので、AAとAaが1対2(33%:67%)の割合で分離し、保因牛(Aa)が子孫に致死性の劣性遺伝子を伝達します。
遺伝病の発症率は両親がすでに遺伝子型検査を受けていれば、死産する確率がわかります。ほとんどの父牛はBLADやCVMの遺伝子型検査を行っていますが、母牛は反対にほとんど遺伝子型検査を受けていません。遺伝子型が確定していない母牛は祖先の情報から劣性遺伝子を保因している確率を推測する必要があります。交配相談システムの遺伝病発症率を計算する場合、遺伝子型が確定していない個体は血縁が途切れるところまで遡り、その最初の祖先も遺伝子型検査を受けていない場合は、すべて遺伝病の劣性遺伝子を保因していない(AA)と仮定して計算しています。
図3には劣性遺伝子の関与によって起こる各世代の子牛死亡の割合を例示しました。○(マル)の中のCは遺伝子型検査の結果として保因牛(Career)、Fは検査の結果、当該の劣性遺伝子を持っていない牛(正常牛:Free)、さらに空白は遺伝子型検査を行っていない牛を示しています。基礎世代の雌牛Eは遺伝子型検査により保因牛(Aa)、各世代における供用種雄牛のすべては遺伝子型検査済であり種雄牛A、BおよびDは保因牛(Aa)、種雄牛Cは正常牛(AA)と仮定しました。また、この例題によって交配した時に、各世代で死産が生じる確率を網掛けで示しました。例えば、雌牛Gは50%の確率で保因牛の可能性がありますが、これに正常な種雄牛Cを交配すると、生まれてくる子牛は死産(発病)の確率がゼロになり、保因牛になる確率も30%に低下します。交配相談システムで示された遺伝病の発症率は、交配組み合わせによって生産される子牛において、BLADが発病する確率とCVMが発病する確率を合計した値です。なお、登録事業の中でブラキスパイナが遺伝的不良形質として調査の対象になれば、ブラキスパイナが発病する確率も遺伝病の発病率に追加する予定です。
登録部 河原 孝吉・松井 俊樹
2012年4月1日 掲載