北海道共進会の歴史
北海道の乳牛共進会は明治39年に開催された「第1回北海道畜産牛共進会」がはじまりで、その後、数回開催されているが定期的なものではなかった。
 定期開催されるようなったのは、戦後の昭和21年開催された「第1回北海道畜牛共進会」以来で、当組合が全道共進会を主催するようになったのは、昭和24年札幌市で開かれた「第4回北海道畜牛共進会」からであり、大冷害による4年(26、35、36,37年)を除きほぼ毎年「北海道ホルスタイン共進会」を開催された。
 この間、昭和30年から約4年に1度、北海道が総合畜産共進会を主催している。
 平成8年札幌市で第9回世界ホルスタイン・フリージアン会議(主催・日本ホルスタイン登録協会)が開催され、併設行事として企画された共進会は、出品地域を道外および国外まで門戸を広げ、現在の「北海道ホルスタイン・ナショナル・ショウ」と改称し開催されるようになった。
 当初、審査員は体格審査委員が主として担当していたが、昭和48年に初めて酪農家によって行われた。現在、当組合の審査委員選考要項に基づき、出品者の投票によって選出されるようになった。また、今年を含め過去11回10名の外国人を審査員として招聘している。
 出品頭数は50余年の間に増加し、昭和42年の200頭余から、50年代に急増して380頭前後の規模となり、近年は施設等の関係からほぼこの頭数に定着している。
 また、昭和58年から出品資格に出品牛または母牛の検定成績の下限を設け、体型と能力の協調をより求めるようになった。平成7年にはジュニア特別クラスを新設し出品牛は18才未満の青少年が誘導することが条件とした単独クラスを設け後継者育成を目的にするなど、時代に即応した充実した共進会を目標としている。出品者にとってもショウシーズンの総決算的な位置付けとされ、府県はもとよりアメリカ、カナダ等のほか、近年隣国の中国、韓国など沢山の参観者が訪れ北海道ホルスタインの改良の成果は高く評価されるようになった
 
昭和42年 初めての外国審査員としてカナダのグエルフ大学教授J.C. レニイ博士を招へいし、単独による審査を実施した。
当時の共進会における審査は並列で個体ごとに行い、次に比較審査で序列を 決め、段階的に選抜するピラミッド型の審査であったが、審査の方法は従来 と一変して先進国のカナダ方式を採用し、牛を時計回りに円形歩行させ、 その中から上位牛を引き出し、それらをさらに円形歩行しながら選抜した。
以来、国内の共進会はこの方法を取り入れている。
 
草  創  期
昭和30年代
昭和40年代
昭和24年 成牝牛 1等賞 昭和30年 最高位賞 昭和40年 成牝牛最高位賞
マラソン ベツス バーク ロメオ ジエマイマ インペリアル ミユーチユアル スノードロツプ スカジツト トロムボーン ローズ
札幌市 宇都宮 勤 江別市 町村 敬貴 早来町 山田 明人
昭和50年代
昭和60年代
昭和50年 経産最高位賞 昭和60年 経産最高位賞
アデイロンダツク ラツス ローヤル ジヤーランチエ クロス アライアンス
清水町 西倉 栄吉 別海町 宗像 宏充
 
昭和44年
恵庭共進会場
 
昭和49年
産業共進会場(左)

(現月産アルファコートドーム)

平成17年
北海道ホルスタイン共進会場 (右上


高橋・北海道知事より祝福を受けて・・

北海道ホルスタイン共進会場
総面積3,865㎡(1,166坪)の広さを持つ
全天候型屋内共進会場で、53年11月に総工費1億
8千万円をかけ、胆振管内早来町に建設された。
 
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